大判例

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高松高等裁判所 昭和49年(ネ)53号 判決

控訴人

若槻強

右訴訟代理人

岡林濯水

外一名

被控訴人

平井光輝

外三名

右被控訴人ら四名訴訟代理人

藤原充子

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の第一次及び第二次請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを六分し、その五を被控訴人平井光輝、同平井佐代の負担とし、その一を被控訴人古味信義、同古味ヨシナロの負担とする。

事実

控訴代理人らは、主文第一、二項同旨及び「訴訟費用は第一、二審共被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の主張、提出援用した証拠、認否は、次に付加する外は、原判決事実摘示の通りであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一(控訴人の債務の内容)

控訴人は、訴外亡平井留子(以下亡留子という)との間に、控訴人らの居住する地域社会における当時の医学上の諸基準及び水準に照らし、一定の裁量範囲内において、適正な診断と治療をなすことを抽象的に約束したに止まり、特定の具体的な医療行為或は特定の診療成果の招来までを約束したことはない。

二(控訴人の診断上の無過失について。)

(一)  いわゆる妊娠は、卵管膨大部において、精子と卵子の結合(受精)に始まり、この妊卵が子宮内に着床して始めて正常妊娠となり、子宮外に着床した場合は、子宮外妊娠となる。そして妊娠の初期において、妊娠という事実が判明しても、妊卵がいずれの場所に着床したかを判別することは、現代の医学では不可能とされている。したがつて妊卵着床後の変化が着床の場所による相違を具体的に化現するまで、すなわち、子宮外妊娠の中絶をきたすまでは、無症状、無所見のため、それが正常妊娠であるか否かを識別することはほとんど不可能であつて、通常はその中絶後にはじめて子宮外妊娠の診断を下すことができるのである。本件において、控訴人は亡留子を診察した際、同人が正常妊娠をしていると診断したのではなく、ただ妊娠していると診断しただけであつて、被控訴人主張の如く、子宮外妊娠であるか否かは、その経過を観察した上でなければ断定できなかつたのである。

(二)(子宮外妊娠の診断法)

子宮外妊娠であるか否かは、問診、外診、内診、補助診断法等による所見を綜合して決定するのであるが、種々の補助診断法が出現した現在でも、内診がその最も重要な診断方法であることに変りはない。

(1)  内診

内診特有の所見は、次の通りである。(イ)、子宮が妊娠月数に比較して大きくなく、子宮は多くは軟かいが、逆に硬いこともある。(ロ)、子宮腟部を内診指で上下左右前後に少し動かしただけでも、とび上るほどに痛く、患者は反射的に退避行動をとる。そしてダグラス窩を上下左右前後に動かしても痛みを感じないときは、子宮外妊娠ではないとされる。(ハ)、ダグラス窩から付属器にかけて、びまん性の軟かい相当圧痛のある腫瘤状抵抗を双合診でふれることが多い。(ニ)、子宮外妊娠の疼痛部位は、ダグラス窩、又は、付属器からダグラス窩にかけてであり、それは卵管妊娠では妊娠そのものの重量で着床部下にたれ、多くはダグラス窩のところに座するからである。これを要するに、子宮外妊娠では、ダグラス窩周辺に極めて著明な圧痛のあることが大部分である。

(2)  補助診断法

補助診断法は、あくまで補助的意識にとどまるのであつて、単一で子宮外妊娠を的確に判別する方法ではない。補助診断法には次の如きものがある。

(イ) ダグラス窩穿刺

ダグラス窩穿刺による子宮外妊娠の陽性率は、極めて高く、平均九〇パーセント前後であり、その非陽性率は一〇パーセントである。その非陽性の原因としては、穿刺技術の拙劣により、実際には、腹腔内に貯留血液があるのに血液を吸引しない場合、同時に合併していた卵巣嚢腫を穿刺し、その液が結果的に細胞学的生化学的に腹水を否定され、開腹してみてはじめて子宮外妊娠とわかる場合、古い子宮外妊娠のため、腹膜から液体部分が吸収されてしまつて、半ば乾いたぼろぼろしたもろい血塊形成のため、穿刺液が吸引されてこない場合とか、子宮外妊娠の周囲で高度の被重化現象が行なわれ、肥厚、又は、癒着の強度進行から遂にダグラス窩のところに固い抵抗物ができたり、後腟円蓋が部厚く、かつ、かたく肥厚するため、穿刺針が腹腔内にとどかない場合等があげられる。

このダグラス窩穿刺を行うにあたつては、子宮後腟部後唇を腟部鉗子で引張りながら針をさすが、腟部を引張つたりはなしたり、何回も穿刺を繰り返すことによつて、仮りに子宮外妊娠をしていても、凝血塊集によつて、出血部が押えられていたものが、その押えがとれ、かつ、針自身で子宮外妊娠の部分をつついて、人為的に破裂型を合併させるという極めて危険な事態を生じさせることもあるので、慎重に行うべきものとされている。

(ロ) 試験掻把

試験掻把は、内膜を軽く掻把して組織検査を行う方法であつて、右組織検査により、絨毛を認めなければ(陰性)子宮外妊娠の流産を否定できるのである。しかし、この方法は、子宮内膜をひろくとり、慎重に判定をして、はじめてその検査結果が確実であるといえるから、極めて僅かな部分を、しかも、疑問の多いとり方をして、それによつて診査しようとすれば、二重、三重の誤りを犯す危険性がある。

(ハ) 後腟円蓋切開

後腟円蓋切開は、試験切開であり、腹壁に傷痕を残さず、直接に腹腔内を眼で確認するという点でも、極めてすぐれた方法であるとされているが、この方法は、操作に専門的技術を要し、誰もがすぐできるというものではなく、常に危険な合併症の生ずることを考えて手術室で行なうことが要請され、麻酔も必要である。そして、全体の観察を怠つてこの方法を実施すると、非常な危険が生ずるものとされ、穿孔性虫垂炎が妊娠と合併しているときなどは、いたずらに膿汁を腹腔内にまきちらすことになるので、この方法は、従来の診断方法でおよそ診断のつく場合には必用がなく、その乱用がいましめられている。

(二) 子宮卵管造影法

子宮卵管造影法は、レントゲン診断による一つの方法であり、卵管像を得ることによつて、診断の補助に用いる方法である。この方法は、患者の身体に物理的侵襲を加えることになるから、中絶前にこれを行えば、子宮外妊娠の中絶、特にショツクを伴つた急性型中絶の危険にさらされるのである、したがつて、この方法を行うときは、手術室で、開腹手術を何時でも行なえる状態で行うべきであつて、誤診もかなりあるといわれている。

(三)(控訴人のなした診断の適正であることについて。)

(1)  診断は、原則として、治療を予定するものであつて、これらが一連の診療過程としての意義を持ち、診断の誤りが治療に影響を及ぼす反面、治療の過程で診断を修正する余地があるため、医師の診断上の過失の認定については、もともと複雑、かつ、困難な問題があるところ、医療行為は、患者の身体に対する侵襲であつて、常に危険性を内臓するものであるし、また、その対象である生体の病的変化及び生体の反応が複雑多様であることの外、現在においても、医学それ自体が必ずしも完全であるとはいえない状況にあるから、医師の診断及び治療行為については、或る程度、自由な活動領域を認むべきであつて、医師の診断や治療上の過失責任は、右の点を考慮して定むべきである。

(2)  これを本件についてみるに、亡留子に対する控訴人の診断及び措置は、次に述べる通り適正であつたのである。すなわち、

(イ) 控訴人が、昭和四五年一二月四日、亡留子について行なつた妊娠反応検査の結果は、ゴナビス反応がマイナス、プレグノスチコブラテストがプラス・マイナスであつたところ、ゴナビス反応による検査方法の的中率は一〇〇パーセントに近く、かつ、尿中H・O・Gの濃度が低いと考えられる妊娠初期(妊娠五週ないし六週)においても、その的中率は極めて高いのであるが、プレグノスチコンプラノテストによる検査方法の的中率は97.3パーセントでゴナビス反応よりやや低いといわれている。次に、控訴人が同年一二月一二日に亡留子について行なつた妊娠反応検査の結果は、プレグノスチコンプラノテストもマイナスであつた。そして、控訴人が同年一二月二六日に亡留子について行なつた妊娠反応検査の結果、はじめてゴナビス反応がプラスとなつたのである。

しかして、以上の検査結果からすれば、昭和四五年一〇月二一日に最終月経があつたとされている亡留子の排卵は、月経不順のため通常より遅れていたもので、同年一二月二六日当時は、妊娠六週目に該当するものと考えるべきであつて、同年一二月四日当時において、亡留子の子宮体が小さかつたからといつて、同女が子宮外妊娠をしているなどと疑う余地は全くなかつたのである。

(ロ) 次に、亡留子は、肥満体型ではなく、一回の経産婦で、下腹壁は弛緩し、内診により、比較的容易に子宮、及び、子宮付属器(卵管等)に診断を下し得る状況にあつたところ、亡留子がその最終月経のあつた昭和四五年一〇月二一日から間もなくして子宮外妊娠をし、その後右子宮外妊娠を継続していたならば、昭和四五年一二月二六日当時は妊娠一〇週にあたり、その子宮が増大していない反面、卵管、又は、間質部の腫脹を認めなければならないのに、本件では、内診所見により、卵管の腫脹、間質部の腫脹、圧痛、疼痛を何等認めなかつたし、亡留子が圧痛、疼痛による退避行動をとることも全くなかつたのである。

(ハ) また、控訴人が、昭和四五年一二月二六日、亡留子についてダグラス窩穿刺による検査を行なつた結果、黄色少量の腹水を得たが、内診所見で子宮付属器(卵管及び卵巣)に異常を認めず、また、控訴人が卵巣嚢腫を穿刺した事実もなければ、技術が拙劣で腹腔内に針がとどかなかつたということもないから、当時腹腔内に出血はなかつたものというべきである。また、理論的にも、子宮外妊娠の中絶前(破裂前)には、腹腔内に出血がないのは当然であり、下腹痛、性器出血、ともになかつたことは、当時亡留子が子宮外妊娠をしていたことを疑うような状況になかつたことを裏付けるものである。

(ニ) そして、以上の諸点からすれば、昭和四五年一二月二六日当時において、医師として、亡留子が子宮外妊娠破裂前の状態にあることを強く疑わなければならないような状況にはなかつたものというべきであるから、控訴人が、亡留子の妊娠が子宮外妊娠であることを疑い、かつ、これを前提とした措置をとらなかつたことは当然である。

したがつて、控訴人としては、昭和四五年一二月二六日当時において、亡留子が子宮外妊娠をしていることを一応前提として、同女を入院させて観察しながら十分な検査を行うべきであるとか、又は、入院させないとしても、二、三日の短期日ごとに通院させて診察し、ダグラス窩の再穿刺をするなどして、子宮外妊娠の確診とその治療につとめるべきであつたなどというような義務はなかつたものというべく、また、その他控訴人が現代医学の学理に反し、当然とるべき措置をとらなかつたり、とるべからざる措置をとつたというような顕著な誤りを犯したことは全くないのである。却つて、控訴人は、昭和四五年一二月二六日、亡留子が妊娠初期であるとの判断の下に、右留子に対し、療養上の指導として、今後下腹痛、性器出血等があれば、直ちに来院する様に、また、かりに、異常がない場合でも、二週間後に来院するよう明確に指示を行なつたのであつて、その時点における措置としては、現在の平均的医師以上の慎重な学問上の判断に基づく措置であつたというべきである。

三(因果関係について。)

控訴人は、前述の如く、昭和四五年一二月二六日は、亡留子に対し、もし下腹痛、性器出血等があれば、直ちに控訴人方医院に来院するよう明確な指導を行なつており、かつ、妊娠初期の通常の健康管理についても説示をしたのである。ところで、亡留子は、その後、昭和四六年一月二日、年賀の挨拶廻りのため、体動の激しくなることの予見できる自動車に乗り、何軒もの家を訪問しているのであつて、そのために同日午前一〇時には下腹痛を訴え、ついで、同日午後二時には、すでに血圧測定不能、脈博はふれないという重篤なシヨツク状態に陥つたのであるが、亡留子の住所地から控訴人方医院までは、自動車で約二〇分ないし三〇分、高知市民病院までは約二三キロメートル、自動車で約一時間二〇分であるから、亡留子が前記一月二日午前一〇時頃に下腹痛を訴えたときに、かねての控訴人の指示通り、直ちに控訴人方医院に来院していたならば、その生命は充分にとりとめ得たのに、亡留子は来院しなかつたのである。したがつて、控訴人が昭和四五年一二月二六日、亡留子に対してなした診断及び指示と亡留子の死亡との間には、因果関係がないというべきである。

四 なお、後記被控訴人らの二ないし五の主張は争う。

(被控訴人らの主張)

一  控訴人の右主張は争う。

二(控訴人の診療上の義務について。)

亡留子は、昭和四五年一二月四日控訴人に対し、以下に述べるような治療に当ることを内容とする診療契約(準委任契約)の申込みをなし、控訴人は、それを承諾し、右両者間に診療契約が成立した。そして、医師は、診療をしたときには、本人又はその保護者に対し、療養の方法その他保護の向上に必要な事項の指導をしなければならない法的義務を負担しているところ(医師法二三条参照)、亡留子が昭和四五年一二月四日、同月一二日、同月二六日の三回に亘り、控訴人の診察を求め、控訴人に産婦人科専門医としての高度の診断を求めたのに対し、医師である控訴人としては、亡留子が妊娠をしているか否か、もし妊娠をしていれば、それが正常妊娠か異常妊娠(とくに子宮外妊娠)かという点についての医学的究明とその適切な治療行為をなすべき法的義務を負担したものというべきである。したがつて、医師たる控訴人は、患者である亡留子に対し、その専門的知識、経験を基礎として、その当時における医学の水準に照らして、当然かつ充分な診察・治療行為をなすべきであつて、受任者として、右診療契約の本旨に従い、善良なる管理者の注意義務をもつて、良心的な医療行為を行うべき債務を負担していたものである。

三(控訴人の右医療契約上の義務違反・過失等について。)

(1)  右の如き診療契約上の義務を負担していた控訴人は、亡留子の診察に当り、亡留子の妊娠が治療行為を要しない正常妊娠か、又は、可及的速やかに治療・手術等の医療行為を必要とする異常妊娠か、についての診断をすべきであつて、控訴人主張の如く、亡留子が単に妊娠をしているというだけの診断をしたのであるとすれば、その点で前記医師としての善管注意義務を尽したものとはいえず、前記契約上の義務違反を免がれない。

なお、仮りに、控訴人がその主張の如く、亡留子について、妊娠の初期であるとのみ診断したとしても、妊娠とは患者である亡留子にとつては正常妊娠であるとの判断を意味するものであり、また、経験則上、昭和四五年一二月二六日に、控訴人が亡留子に対し、子宮外妊娠の疑いがないとの旨告げたことは、正常妊娠であるとの判断を受けたことと同視すべきである。

(2)  次に、一般に、中絶前の子宮外妊娠の診断が困難であるのは、自覚症状がないのに等しいので、その時点で医者を訪れる者が少なく、仮りに、医者を訪れたとしても、何か他の愁訴で医者を訪れることが多く、子宮外妊娠の疑いを抱いて医者を訪れるものはないところ、控訴人は、亡留子の妊娠が子宮外妊娠ではないかとの疑念を抱いたので、昭和四五年一二月二六日、ダグラス窩穿刺をしたが、その結果がマイナスであつたところから、子宮外妊娠の疑いを明確に抱かなかつたのである。しかし、亡留子は、昭和四六年一月二日の子宮外妊娠中絶(破裂)前に、三回も控訴人方医院を訪れて控訴人の診察を受けており、かつ、その際控訴人に子宮外妊娠の心配はないかと尋ねているのであるから、医師である控訴人としては当然に子宮外妊娠の疑いを抱き、直ちに亡留子を入院させるなどした上、ダグラス窩穿刺の外、子宮内膜検査等をし、その経過を観察すべきであつたにも拘らず、控訴人は亡留子をそのまま帰宅させたのである。

(3)  もつとも、控訴人は、昭和四五年一二月二六日、亡留子を内診した結果、「無月経が続いている。約三・四日前からむかつき、食欲不振が現われてきた。子宮体が前傾前屈、子宮体の大きさやや増大、硬度が部分的餅様に柔らかい。可動的圧痛なし。子宮付属器は所見なし。子宮頸部にびらんなし。分泌物は少量で白色。」という所見を得ており、子宮外妊娠を思わせるような症状がなかつたことを窺わせるような状況はなくはない。しかし、前述のように亡留子は、子宮外妊娠ではないかということを控訴人に告知しており、控訴人は、亡留子を安心させるために、ダグラス窩穿刺まで行つているのである。したがつて、亡留子を診察した結果、子宮外妊娠を疑う症状が得られなかつたとしても、控訴人としては、亡留子を入院させて、さらに子宮外妊娠を否定するに充分な検査を行うとか、緊急の措置をとりうるよう療養方法の指導義務があつたものといわなければならない。特に、亡留子の居住地が遠隔地にあることや、時期的に年末年始であつたところからすれば、子宮外妊娠のシヨツクの場合の注意事項を懇切に指導すべき義務があつたものといわなければならない。なお、子宮外妊娠の診断に当つては、一つの検査のみを過信することなく、必要な検査はすべて行い、既往歴をよくきき、総合的に判断して診断をすべきであるが、前述の如く、控訴人は、昭和四五年一二月二六日、ダグラス窩穿刺を行つたのみであるから、専門医として充分な措置をとつたものとは言い難い。子宮外妊娠であるものを子宮外妊娠でないと誤信することは、子宮外妊娠でないものを子宮外妊娠であると誤信するよりも罪が重いといわれているが、まさにその通りである。

(4)  以上要するに、子宮外妊娠は、その中絶によつて生死をわかつ重篤病状を招来するものである以上、亡留子が、その中絶前に、三回も控訴人方医院を訪れ、控訴人に子宮外妊娠の疑念を告知しているのであるから、単に子宮外妊娠を否定し、亡留子を安心させるためにということのみから、ダグラス窩穿刺による検査を行なつただけで、亡留子を帰宅させた点に、控訴人において、本件診療契約上の債務の履行が不完全であつたというべきであるし、また、医師としての注意義務に違反する過失があつたものというべきであり、その結果、亡留子は死亡するに至つたものである。

(5)  なお、控訴人の債務不履行ないし過失を認定するについては、次の点を考慮すべきである。

すなわち、医療過誤の問題の本質は、被害者が患者又はその家族(遺族)であり、その保護法益は何よりも、それらの身体、健康、生命である。したがつて、医師に要求される注意義務は、専門医として必要な高度の注意義務であり、個人的な学歴、技能、経験の差は考慮されず、医学の進歩によつて、その一般的水準は高まつてくるのである。医学の進歩に伴つて過失なしとする過去の判例も、将来変更される可能性があるのであつて、要するに、医師にとつては、僅少な間違い、注意義務違反が、患者にとつては、生命、身体に対する回復不可能な重大な損害を及ぼす可能性がある以上、些細な注意義務違反も許されず、厳格に医師の債務不履行もしくは、過失を認定すべきである。

四(亡留子の妊娠の時期について。)

(1)  亡留子は、最終月経が昭和四五年一〇月二一日から三日間あり、月経は順調であつたというのであるし、同年一二月四日の主張は、無月経で、内診の結果は子宮体の大きさはやや増大して硬度は稍柔らかい、ということである。そして、同月一二日も無月経が続いており、子宮体はやや増大していて、堅さは正常、部分的につきたての餅を押える柔らかさという内診結果を得ているところ、通常無月経である子宮が増大していれば妊娠と考えられるのであり、かつ、前述の亡留子の最終月経から計算すれば、昭和四五年一二月四日は妊娠七週である。控訴人の行つたゴナビス反応はマイナスであつたけれども、妊娠初期においては、妊娠反応が必ずしも明確にプラスとはならないから、右ゴナビス反応がマイナスであるからといつて、妊娠を否定することにはならないのである。

(2)  次に控訴人は、同年一二月一二日、プレグノスチコンブラノテストの検査のみを行つてマイナスの結果を得たということであるが、同月四日のプレグノスチコンプラノテスト反応がプラス・マイナスであつたのであるから、一二日の検査結果がマイナスであつたからといつて、その原因究明を他の方法によつて確認しないまま妊娠反応をマイナスとして取り扱うことが相当であるか否か問題である。したがつて、右一二日の検査結果のみから、亡留子の妊娠を否定することは相当でないというべきである。

(3)  控訴人は、亡留子の月経が不順で排卵の遅れがあつたと主張しているが、内診のみでは月経不順であるかどうか明確でなく、排卵の遅れがあつたかどうかは、基礎体温を計る他には、確定的に断定できないのである、むしろ亡留子は、従前は月経が順調であつたのであるから、同女の月経の遅れは、妊娠と考えるのが相当である。なお、いわゆる「つわり」は、個人差があり、妊娠の精神状態の如何によつて、発現したり、強弱があるので、必ずしも六週間前後に現われるものではない。

(4)  以上要するに、亡留子は、昭和四五年一〇月二一日の最終月経後間もなく妊娠をしたものである。そしてその子宮体が妊娠月数に比し小さかつたのであるから、産婦人科医としては、前後三回に亘る問診、内診所見、諸検査を遂一検討して、同年一二月二六日の段階においては、子宮外妊娠を強く疑うべきであり、また、疑い得たものであつて、その疑いを確実にするため、他の検査を施行し、亡留子に対し、医学的な知見を告げて、これを了知すべき法的義務があつたものというべきである。

五(子宮外妊娠の中絶診断と医師の注意義務)

子宮外妊娠の場合、中絶前の症状として妊娠初期の徴候はあるが、著明ではないし、また、子宮外妊娠では、無月経であつても、妊娠反応がマイナスであれば、一応妊娠を否定してもよいことになるけれども、子宮外妊娠の場合には、妊娠反応がマイナスであつても、子宮外妊娠の在存を否定する根拠にはならないのである。次に、子宮外妊娠の誤診率は極めて高く、子宮外妊娠患者の三三パーセントは、受診前に誤信され、日大医学部産婦人科教室においても、17.7パーセントの誤診を認めている。しかしながら、誤信率が高いからといつて、法的に医師の過失が免責されるものではない。特に、最近は、中絶前の子宮外妊娠の診断方法について学問上も、臨床上も研究が進められ、子宮外妊娠の発症が経産婦や人工妊娠中絶後に高率発症の事実があることが明らかになつているから、産婦人科医としては、その中絶前に子宮外妊娠の疑いが少しでもあれば、どのような処置をとるべきか、子宮外妊娠を見逃さないために、どのような注意をなすべきか、等早期に子宮外妊娠をその中絶前に発見するための研究と努力をすべきである。

本件の場合には、亡留子が控訴人方医院を訪れ、控訴人に自ら子宮外妊娠ではないかと告げてその診察を求めているのに拘らず、控訴人は、内診所見とダグラス窩穿刺の結果を軽信し、亡留子に対し、「子は元気に太りよる」と告げているのであつて、亡留子が子宮外妊娠をしているとの疑いをもつて、その後の療養方法上の注意を与えたことはなく、産婦人科医としての前記注意義務を怠つているのである。

六(ダグラス窩穿刺について)

子宮外妊娠のダグラス窩穿刺による陽性率は、八七パーセントで残り一三パーセントはマイナスであるし、また、手技上の問題もあつて、間違つた腹部位へ穿刺することもあるから、ダグラス窩穿刺の結果、絶対的に出血がなかつたから、医師のとつた処置として、充分であつたとは断言できないのである。要は、子宮外妊娠の診断にあたり、一つの検査結果を過信することなく、二、三日後再度ダグラス窩穿刺をするために来院させるとか、試験掻把の必要を念頭に置いて、必要な注意を与える注意義務があつたといわなければならない。

七(因果関係について。)

子宮外妊娠破裂は、急性でシヨツク症状を招来し、失血死となることは、医学上当然のことであり、子宮外妊娠の重篤性、生命に対する危険は何人も疑うことはできないのである。したがつて、控訴人が亡留子の子宮外妊娠を正常妊娠と誤信したことと、亡留子がシヨツク症状を発来して死亡したこととの間には因果関係があるというべきである。

(証拠関係)〈略〉

理由

一控訴人が、高知県高岡郡越知町甲一七二五番地の一の肩書住所地で若槻産婦人科医院を開業している産婦人科医師であること、亡平井留子が昭和四五年一二月四日、控訴人方医院を訪れ、控訴人に対し、自己が妊娠をしているか否かについて診察を求め、控訴人がこれを承諾して、右亡留子及び控訴人間に、診療契約(但し、その具体的内容の点は暫く措く)が成立したこと、控訴人が右診療契約に基づき、右同日亡留子を診察し、さらに、同月一二日及び同月二六日の両日に、いずれも控訴人方医院を訪れた右亡留子を診察したこと、亡留子が昭和四六年一月二日午後五時頃死亡したこと、以上の事実についてはいずれも当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、亡留子の死因は、子宮外妊娠破裂であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

二次に、一般に医師は、特段の反証のない限り、自己と診療契約を締結した患者に対し、その専門的知識及び経験を基礎とし、その時における医学の水準に照らし、最も適切な方法により、良心的に充分な診療をすべき義務を負担しているものと解すべきところ、本件において、被控訴人らは、控訴人は、亡留子との診療契約に基づき、昭和四五年一二月四日以降同月二六日までの間に三回に亘り、亡留子を診察するに当り、亡留子が妊娠をしているか否か、もし妊娠をしているとすれば、それが正常妊娠か子宮外妊娠(異常妊娠)かを速やかに識別し、診断すべき義務があつたとの旨の主張をしている。しかしながら、右被控訴人らの主張事実を認め得る的確な証拠はなく、却つて〈証拠〉によれば、妊娠の初期においては、それが子宮外妊娠であつても、中絶前においては、正常妊娠と異なつた症状や所見がないため、問診、外診、内診等により、当該妊娠が正常妊娠であるか子宮外妊娠であるかを識別することはほとんど不可能であつて、産婦人科医としては、経過を見守るのが最も適切な処置であること、そして、問診、外診、内診等により、子宮外妊娠の積極的な疑いがない限りは、ダグラス窩穿刺やその他の被控訴人ら主張の如き子宮外妊娠を識別するための補助診断法を用いて当該妊娠が正常姓娠か子宮外妊娠であるかを確かめるようなことは、妊娠中絶や母体に対する危険をもたらしたり、或は、高度の技術を要することなどから、通常は行なわれないことが認められるから、他に特段の立証のない本件においては、亡留子の診察に当つた控訴人には、被控訴人ら主張の如く、その妊娠が判明した当初から速やかにそれが正常妊娠か子宮外妊娠かを識別する義務はなかつたものというべきである。よつて、右の点に関する被控訴人らの主張は失当である。

三次に、被控訴人らは、控訴人が前記の如く、亡留子を三回に亘つて診察した際、同女の子宮体の大きさがその最終月経から計算した妊娠期間に比べて小さかつたから、同女の妊娠は子宮外妊娠の疑いがあり、殊に、昭和四五年一二月二六日の診察時には、子宮外妊娠を強く疑うべきであつたとし、この事実を前提として、産婦人科の専門医である控訴人としては、直ちに亡留子を入院させた上、ダグラス窩穿刺の検査方法による外、血液検査、フリードマン反応、卵管造影、内膜の組織像検査を速やかに施行して診断の確定につとめ、これによつて確定診断がつきかねる場合には、問診に注意し、子宮膣部やダグラス痛、腰かけ痛に注意し、ダグラス窩穿刺や腔式開腹で診断を確定し、適切な処置をとるべきであつたのに、控訴人はこれを怠り、前記診療契約上の債務の本旨に従つた履行をしなかつたと主張するので、この点について判断する。

(一)  控訴人が、前記の如く、亡留子を三回に亘つて診察した際に、同女が子宮外妊娠をしていることを強く疑わず、したがつて、昭和四五年一二月二六日にも、同女を入院させるなどして被控訴人ら主張の如き検査及び措置をとらなかつたことは弁論の全趣旨によつて明らかである。次に、〈証拠〉によれば、妊婦の子宮体は妊娠期間に比例して大きくなるのであるが、子宮外妊娠の場合には、その子宮体が正常妊娠の場合程には妊娠期間に比例して大きくならず、正常妊娠の場合より小さいこと、したがつて、妊娠期間に比例して子宮体が大きくない場合には、子宮外妊娠の疑いがあり得ること、亡留子の最終月経は、昭和四五年一〇月二一日から三日間であつたから、亡留子が右最終月経のあつた後、月経不順の状態になく、通常の期間内に排卵があつて妊娠をしたとすれば、同女が控訴人に診察を受けた同年一二月四日は妊娠七週目に当り、また、同月一二日は妊娠八週目に当り、さらに同月二六日は妊娠三ケ月に当るところ、亡留子が診療を受けたときの亡留子の子宮体は、右最終月経後通常の期間内に妊娠し、かつ、その妊娠が正常妊娠である場合に比較すれば小さかつたこと、以上の如き事実が認められる。また、〈証拠〉中には、いずれも亡留子が控訴人の診察を受けた当時、殊に昭和四五年一二月二六日には、亡留子が子宮外妊娠をしていることを強く疑う情況にあつたことを窺わせる趣旨の供述をしている。しかしながら、他方、亡留子が妊娠しているか否かについて、控訴人が昭和四五年一二月四日ゴナビス反応とプレグノスチコンプラノテストの検査をしたところ、ゴナビス反応はマイナスであり、プレグノチスコンプラノテストはプラス・マイナスであつたこと、及び、同じく同月一二日プレグスノスコンプラノテストの検査をしたところ、マイナスであつたこと、以上の事実については当事者間に争いがなく、また、〈証拠〉によれば、妊娠可能の婦人の無月経が次の月経予定日を超えて継続している場合であつても、それが必ずしも妊娠によるものではなく、月経不順による場合もあることが認められるのであつて、以上の如き各事実や右各証拠等に照らして考えると、亡留子の最終月経のあつたのが昭和四五年一〇月二一日であり、また、控訴人が亡留子を診察した当時のその子宮体が通常妊娠の場合に比較して小さかつたこと等前段認定の事実のみから、直ちに、産婦人科の専門医である控訴人として、当時亡留子が子宮外妊娠をしていることを強く疑つて、これに対応した処置をとるべきであつたとは認め難いし、また、前述の被控訴人らの主張の事実に副う前記各証人及び被控訴人平井光輝本人の各供述は、いずれもたやすく信用できず、他に、被控訴人らの前記主張事実実を認め得る証拠はない。

(二)  却つて、〈証拠〉を総合すると、次の如き事実が認められる。すなわち、

(1)  亡留子は、昭和四一年に被控訴人平井光輝と結婚し、同四二年三月長女を出産したこと、右亡留子は、昭和四五年一〇月二一日に最終月経があつてから四〇日以上も月経がなかつたところから、妊娠をしたのではないかと思い、同年一二月四日、控訴人方医院を訪れ、控訴人にその診察を求めたこと、そこで、控訴人は、同女を診察したところ、通常妊娠をした場合の子宮はつきたての餅状のやわらかさであるのに、その時の内診の結果では、亡留子の子宮は通常の硬さであつて、同女の子宮体及び付属器管に妊娠を窺わさせるような兆候はなく、また、その時に亡留子の妊娠の有無を確かめるために行なつたプレグノスチコンプラノテストの検査の結果はプラス・マイナスであり、ゴナビス反応の検査結果はマイナスであつたこと、このような内診及び検査結果から、控訴人は、右一二月四日当時においては、亡留子が妊娠しているものとは断定できないと診断し、暫く様子をみることにして、一週間後に来院するよう指示したこと、

(2)  次に、控訴人は、同月一二日、控訴人方医院に来院した亡留子を診察したところ、亡留子の無月経は続いていたが、その子宮は、部分的に一部やわらかくはなつていたが(このようなことは月経不順の場合にも起こり得る)、全体としては通常の硬さであつて、その子宮体及び付属器管に妊娠を窺わせるような兆候はなく、また、その時に行なつたプレグノスチコンプラノテストの検査結果はマイナスであつたこと、そこで控訴人は、右内診及び検査結果から、右一二月一二日当時においても、亡留子は妊娠をしているのではなく、むしろ月経不順による無月経が続いているものと診断し、なお、亡留子から前回の検査でプレグノスチコンプラノテストの結果がプラス・マイナスであつたことについての質問を受けたのに対し、右検査結果から、一二月四日の時点で亡留子が妊娠をしていたと考えても、それは極めて初期の妊娠であつて、その後同月一二日までの間に自然に妊娠中絶をしたかも知れず、この場合には、不正性器出血等の異常が起こるであろうし、また、亡留子が当初から妊娠しておらず、単に月経不順の場合は、そのうち月経があるであろう、との説明をした上、いずれにしても、暫く様子をみてさらに来院するように指示をしたこと、

(3)  次に、控訴人は、同月二六日、控訴人方医院に来院した亡留子を診察したが、その際に、亡留子は、「相変らず無月経が続いているが、三・四日前からつわりのような感じがする。」との旨訴えたこと、また、控訴人が亡留子を内診したところ、その子宮は稍々増大しており、全体としてつきたての餅状に近いやわらかさとなつていて妊娠初期の症状を呈していたし、その時に行なつたゴナビス反応の検査結果もプラスであつたこと、そこで、控訴人は、右内診及び検査結果から、右一二月二六日に至り、亡留子は妊娠をしているものと診断し、かつ、最終月経後の排卵が遅れたため、最終月経のあつたときを基準とした通常の場合よりも遅れて妊娠したものであつて、右一二月二六日当時は、妊娠二ケ月と診断したこと、その際に、亡留子は控訴人から妊娠を知らされて非常に喜んだけれども、その年の二月に流産をしたことがあり、また、以前に控訴人から子宮外妊娠のことについて説明を受けたことなどから、子宮外妊娠の心配はないかと強く尋ねたこと、これに対し、控訴人は、当日における内診の結果等から、卵管や間質部が腫脹しておらず、その他出血、下腹痛等子宮外妊娠を疑わせるような兆候はなかつたから、控訴人としては亡留子が子宮外妊娠をしているとの疑いはもつていなかつたのであるが、念のため、子宮外妊娠であるか否かを確かめるための補助診断法であるダグラス窩穿刺の検査をしたところ、マイナスの結果が出たので、亡留子に対し、子宮外妊娠を疑わせるような兆候は見当らないから、現在はその心配はないとの旨告げ、今後出血があつたり、下腹痛があつた場合には、すぐ来院するよう指示したこと、なお、ダグラス窩穿刺は、子宮外妊娠の中絶があつた場合には、腹腔内に血液が溜るところから、腹腔内に血液があるか否かを調べて子宮外妊娠の有無を検査する補助診断法であること、したがつて、子宮外妊娠の中絶前には、出血がないので、ダグラス窩穿刺によつて、子宮外妊娠の有無を検査することは無意味であること、

(4)  次に、亡留子は、昭和四五年一二月二六日以降も自宅にあつて格別異常を訴えるようなこともなかつたところ、昭和四六年一月二日午前中に、年賀のため被控訴人平井光輝の実家を訪問すべく自宅を出て、途中被控訴人平井光輝の実姉である岸本ツユ子方に立寄つたが、同日正午頃右同人方で、下腹痛を訴え、その苦痛に堪えかねる状態に陥つたので、同日午後二時頃、訴外片岡徹医師の往診を受けたが、その折には、亡留子は既に顔面蒼白で、脈博が触れず、血圧の測定も不能で、下腹部に圧痛があり、腹部がやや膨満状態を呈し、悪心、嘔吐があつて、シヨツク状態であつたこと、そこで片岡医師は、止血剤、強心剤を施用する等の応急措置を施した上、亡留子を高知市内の市民病院に運んで手術を受けさせようとしたが、途中容態が急変したため、同日午後五時頃、とり敢えず同女を控訴人方医院に運んだが、その際に、亡留子は死亡したこと、

以上の如き事実が認められる。

(三)  次に、前記(二)に認定の事実に、〈証拠〉によれば、次の如き事実が認められる。すなわち、(1)、前記の通り、妊娠可能な婦人の無月経が次の月経予定日を越えて継続している場合であつても、それは必ずしも妊娠によるものではなく、月経不順による場合もあること、したがつて、亡留子が昭和四五年一〇月二一日に最終月経があつた後に、同年一二月四日及び同月一二日まで無月経が続いていたことと、前述のゴナビス反応がいずれもマイナス、プレグノスチコンプラノテストが一二月四日はプラス・マイナス、同月一二日はマイナスをあつたところからすれば、医学上は、月経不順による無月経が続いているのであつて妊娠はしていないという考え方と、妊娠はしているが極めて初期で、妊娠反応の検査がプラスにならないという考え方との二つが可能であるけれども、一般の医師の医療実務の実際では、妊娠の疑いを持ちつつも、妊娠の断定をせず、経過を見守るのが通例であつて、この段階で子宮外妊娠の疑いを持つてこれに対応する処置をとるような義務はないこと、(2)、次に、控訴人は、前述の通り、昭和四五年一二月二六日、亡留子を診察して同女が妊娠していると診断したものであるところ、亡留子がその最終月経のあつた昭和四五年一〇月二一日から通常の期間内に排卵があつたものと仮定した場合には、その子宮体が右妊娠期間に比較して小さかつたのであるから、医学上は子宮外妊娠を疑う余地がなくはないけれども、他方、これより先の同月四日及び一二日の診察の結果では、当時亡留子において妊娠しているとは断定し難い状況にあつたのであるから、右子宮体の小さいことは、むしろ排卵の遅れによるものと考えるのが相当であつたといえるし、また、当日の亡留子に対する内診所見では、卵管腫脹等の異常はなく、格別子宮外妊娠を疑わせるような状況がなかつた上、子宮外妊娠の中絶を疑わせるような不正性器出血、下腹痛等の症状もなかつたのであるから、かかる場合には、一般の医師の医療の実際としては、特に子宮外妊娠の疑いを抱いてこれに対応する検査や処置をとる必要はなく、そのまま経過を見守れば足りのみならず、むしろそれが最も適当な方法であつたこと、そして右の如き場合に、患者が子富外妊娠の疑いを持ちこれに対する不安を感じている場合でも、医師としては、将来不正性器出血や下腹痛等の異常があつた場合には、直ちに来院して診療を受けるよう指示すれば足りるのであつて、患者が右不正性器出血や下腹痛等の異常があつでから医師の診療を受ければ、それが子宮外妊娠の中絶によるものであつても、一時に多量の出血があつた場合や医師の誤診等極めて例外的な場合を除き、多くの場合は、一命を失うよなことはないこと、(3)、なお、子宮外妊娠は、その中絶前の症状が正常妊娠の場合とほとんど変らないので、中絶前にこれを発見することは著しく困難であつて、医療の実際では、子宮外妊娠が問題とされ、これに対する診断と治療がなされるのはその中絶後が大部分であること、また、子宮外妊娠の補助診断法であるダグラス窩穿刺、試験掻把、後腟円蓋切開、子宮卵管造影法等の検査方法を用いて子宮外妊娠の有無を検査するのも、ほとんどその中絶後のことであつて、中絶前にこの方法が用いられることは、若干の例外を除いてほとんどなく、殊に、右の如き補助診断法の多くは、これを中絶前に用いると、卵管破裂、卵管流産等の中絶を招く虞れがあるので、患者が出産を希望しているような場合には、このような方法を用いることは避けなければならないこと(ちなみに、亡留子は当時強く出産を希望していたものである)、(4)、したがつて、控訴人が、前記(二)に認定の如く亡留子に対してなした診断及び処置は、一般の医師としてなすべきことに何ら欠けるところはなく、医師としての診療義務の履行に不完全な点はなかつたこと、以上の如き事実が認められる。

(四)  なお、被控訴人らは、当審でも、亡留子は、その最終月経である昭和四五年一二月二一日以降通常の期間内に妊娠し、同年一二月四日当時は妊娠七週目であつたとの事実を強く主張しているが、前記認定の通り、本件においては、亡留子は、最終月経後、排卵の遅れによつてその妊娠が通常の場合より遅れたことが考えられるのであつて、結局本件における全証拠によるも、亡留子がその最終月経後通常の期間内に妊娠し、昭和四五年一二月四日当時は妊娠七週目であつたとは認め難いのみならず、仮りに、亡留子がその最終月経後通常の期間内に妊娠をしたとしても、前記認定の通り、控訴人が、昭和四五年一二月四日及び同月一二日当時、亡留子が妊娠しているものと断定しなかつたことについては、医師として診療上の落度ないしは義務違反はなかつたものというべきであるから、亡留子の客観的な妊娠の時期が被控訴人ら主張の通りであるからといつて、控訴人が亡留子の子宮外妊娠を疑わなかつたことについて、本件診療契約上の義務違反はない。

(五)  してみれば、控訴人が亡留子を診察して同女が子宮外妊娠をしているとの疑いを強く抱かず、そのために被控訴人ら主張の如き亡留子を入院させる等の処置をとらなかつたからといつて、そのために、控訴人において、亡留子との本件診療契約上の債務の完全な履行をしなかつたものとはいい難いから、右債務不履行(不完全履行)を前提とした被控訴人らの第一次請求は、その余の点について判断をするまでもなく、すべて失当である。

四次に、被控訴人らの不法行為に基づく第二次請求についてみるに、前記二において認定したところから明らかな通り、亡留子の診療に当つた控訴人には、昭和四五年一二月二六日に亡留子が子宮外妊娠をしていることを強く疑い、同女を直ちに入院させるなどして、被控訴人ら主張の如き各検査を速やかに施行して診断を確定し、これに対応した適切な処置をとるべき作為義務はなかつたものというべきであるから、控訴人が右の如き処置をとらなかつたとしても、いわゆる不作為による不法行為が成立するものではないのみならず、その権利侵害についての故意・過失もなかつたものというべきである。してみれば、被控訴人らの不法行為に基づく第二次請求も、その余の点について判断するものでもなく、すべて失当である。

五してみれば、原判決中被控訴人らの債務不履行に基づく第一次請求を一部認容した部分は不当であるから、右部分を取消して、被控訴人らの右請求部分を棄却し、また、被控訴人らの不法行為に基づく第二次請求もすべて失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法九六条八九条九三条を適用して主文の通り判決する。

(秋山正雄 後藤勇 古市清)

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